長嶋茂雄監督率いる読売ジャイアンツと
王貞治監督率いる福岡ダイエーホークスの対決となった2000年の日本シリーズは、巨人が4勝2敗で勝利し、6年ぶり19度目の日本一となった。長嶋は監督14年目にして2度目の日本一となった
[これは歴代の巨人監督の中でも遅いほうである(ただし、巨人で監督を14シーズン以上勤めたのはV9監督の川上哲治と長嶋だけである)。]。本シリーズは、巨人のV9時代を支えた王・長嶋の「
ON対決」として注目された他
[シリーズを行なう前に、必ずお互いの監督が顔合わせをし会議を行なうが、この年の会議は5分で終わってしまった。監督が二人とも旧知の仲であり、「何も言わなくても、お互いのことは分かる」とのことで、ほとんど話し合うことはなかったためである。]、移動日なしで第3戦を行い、3戦と4戦の間に2日間の休みが入るという変則日程であった。これは、ダイエー球団がシリーズ日程中に福岡ドームを別のイベントに貸し出すという失態をおかしたためである
[ダイエー球団は、日程確保を怠ったとして、シリーズ終了後に制裁金3000万円の支払いを命じられた。]。先にダイエーが2連勝して、移動日なしで巨人が勝利。その後2日をはさんで第6戦まで行われた。
本塁打数は巨人8、ダイエー7とほぼ互角だったが、巨人がチーム打率.285とほぼ実力を発揮したのに対し、ダイエーは.202と本来の力を発揮できなかった。
城島健司が3試合連続を含む4本塁打(ともにシリーズタイ記録)と気を吐いたものの、左脇腹痛を発症させた
小久保裕紀(.143、0本塁打、1打点)や、
松中信彦(第1戦で本塁打を放ったものの安打はその1本のみ)らの主軸がブレーキとなり、3本塁打8打点の
松井秀喜、2本塁打5打点の
高橋由伸と主軸が活躍した巨人と対照的な結果になった。ダイエーは従来のシリーズ記録(49三振)を大幅に上回るシリーズ62三振を喫し、犠打数も巨人の7に対してわずか1(その1犠打は主軸の小久保である)と粗さが目立った。先発投手の防御率が8.25と早めの継投を余儀なくされ、第1戦、第2戦で活躍した救援投手陣も次第に巨人打線に通用しなくなった。