藤田元司監督率いる
読売ジャイアンツと
森祇晶監督率いる
西武ライオンズの3年ぶりの対決となった1990年の日本シリーズは、西武が
1960年の
大洋以来30年ぶりの4戦4勝で勝利し、2年ぶり9度目の日本一(西鉄時代を含む。西武では6度目)。西武の4連勝は引き分けを挟まないものとしては
1959年の
南海(相手;巨人)、1960年の大洋(相手:
大毎)以来30年ぶり3チーム目、引き分けを挟むものも入れると
1957年の西鉄(相手:巨人、1分け挟む)と、
1975年の
阪急(相手:
広島、2分け挟む)以来4チーム・5回目の快挙。巨人のシリーズ4連敗は3度目(1957年は1分挟む)。また、西武の4連勝はすべて4点差以上の勝利で、まさに圧倒だった。このとき敗れた巨人の
岡崎郁は「私の野球観が変わった」とシリーズを象徴する言葉を残している。
対して
斎藤雅樹・
桑田真澄など
セ・リーグの
防御率上位4人、シーズン70完投を記録していた巨人であったが、
9月8日の対
ヤクルト戦で早々とリーグ優勝を決めて間隔が空きすぎており、第1戦、初回に
槙原寛己が西武
オレステス・デストラーデにカウント0-3からど真ん中の直球を投げて特大の本塁打を打たれてしまうなどの影響が見られた(巨人投手陣は以後2戦・3戦と連続してデストラーデは初回にタイムリーとデストラーデを乗せてしまい、シリーズ
MVPにつながっている)。
さらには、この年のセ・リーグ盗塁王
緒方耕一がシリーズ第3戦で故障するなど致命的なアクシデントも重なり、結局、巨人は西武に反撃のスキすら与えられず敗れることとなった。西武との死闘の末に敗れた
1983年の日本シリーズ、守備と足の差で負けた
1987年の日本シリーズを経験した関係者も多く、「西武アレルギー」が戦わずして露骨に表れてしまっていたことも指摘されている。その一人
原辰徳は、監督として臨んだ対西武の
2002年の日本シリーズに際して、西武への印象を「苦手を通り越して、コンプレックス。
トラウマ的なものさえ感じる」と述べた
[ ]。