1936年6月16日に第2回アメリカ遠征から帰国したチームに合流、この年から始まった公式戦に臨んだが直後の夏季大会で2勝5敗と惨敗(こうした経緯から巨人の球団史は藤本を初代監督と位置づけている)。アメリカ遠征のおごりがあったチームを鍛え直すために兵役の終わった
三原脩を助監督兼任選手として復帰させ
群馬県館林市の
茂林寺・
分福球場で猛練習を行った
[前掲『プロ野球40年史』p.47]。秋季大会は順当に勝利を重ね、巨人を公式戦第1回優勝球団に導いた。在任7年間の9シーズンで7度の優勝という第一次黄金期を築き、
1942年シーズン終了をもって辞任(なお、当時藤本は巨人の運営会社
株式会社大日本東京野球倶楽部の
取締役も兼任しており、取締役についても辞意を表明していたが、球団は監督辞表のみ受理した)。