延宝3年(1675年)9月に鹿児島城で誕生。ただし、父が再婚して間もない頃鶴姫との婚儀は延宝3年2月29日(1675年3月25日)の誕生だったためか後室・鶴姫(吉良義央長女、上杉綱憲養女)や世間をはばかり、曾祖父・島津光久の子供達と共に育てられる参照「薩藩旧記雑録 追録」。宝永元年(1704年)、父の死により家督を継ぐ。宝永7年(1710年)、第6代将軍・徳川家宣に対して琉球慶賀使を聘礼させた。享保6年(1721年)、長男・継豊に家督を譲って隠居する。後に息子・継豊が徳川吉宗養女・竹姫と再婚させられそうになったときには反対派の筆頭であったとも言われるむしろ吉貴は賛成派の筆頭だったという意見もある。参照『徳川将軍家の結婚』山本博文著 ISBN 978-4166604807。延享4年(1747年)10月、73歳で没した。