翌1955年1月24日、衆議院本会議場では政府三演説に対する
代表質問が行われていた。社会党の
長正路議員の質問に対し、まず鳩山が答弁、次に
石橋湛山通産相が登壇して答弁を始めたその時だった。
松永東衆議院議長が突然「石橋湛山君、石橋湛山君……」と石橋の言葉を遮り、「石橋湛山通商産業大臣、しばらくお待ち下さい」と言葉を続けると、議場内は騒然となった。そして松永が「ただいま内閣総理大臣から詔書が発せられた旨伝えられましたから、これを朗読いたします」と告げると、解散を今や遅しと待ちわびていた与党民主党と左右両社会党の議員たちの興奮は頂点に達した。
後刻、新聞記者に「なぜこの日に」とたずねられた鳩山は淡々と「天の声を聞いたからです」と答えて記者たちをうならせた。「
馴れ合い解散」、「
抜き打ち解散」、「
バカヤロー解散」と続いた吉田時代のドロドロとは打って変わって、どこか人のよい君子然としたこの新しい総理は確実に新風を吹き込んでいることを記者たちはそこにみたのである。鳩山民主党はこのあとの
第27回総選挙でも単独過半数を制することが出来ずに少数与党にとどまったが、この解散・総選挙を通じて巻き起こった「鳩山ブーム」は鳩山に政権浮揚に必要な「人気」を与えて余りあるものをもたらすことになった。