コロンブス以前の
ミシシッピ文化の都市中心であった
カホキアは、現在のイリノイ州コリンズビル近くにあった。この文明は1400年から1500年頃に、よく分からない理由で消滅した。この地域における次の大きな勢力は幾つかの種族が政治的な同盟を結んだイリニウェク連邦だった。この連邦の名前がイリノイという名前の元になった。イリニウェク連邦は
17世紀に、
イロコイ連邦の拡張(その原因は合衆国東部におけるヨーロッパ人植民地の拡張)の影響を受け、土地のことで幾つかの種族と争うようになった。イリノイにおいては、ポタワトミ族、
マイアミ族、
ソーク族その他の種族がイリニウェク連邦を追い出して入れ替わった。
1839年、
末日聖徒イエス・キリスト教会員、すなわち
モルモン教徒あるいはLDSが
ミズーリ州での迫害を逃れてイリノイに入り、小さな町を購入してノーブーと改名した。この町はミシシッピ川の有名な屈曲部にあり、直ぐに人口が12,000人まで成長して、しばらくの間はイリノイ州での最大都市を競った。ある意味では
神政政治だったが、民主的な選挙も行った。モルモン教徒は1つの塊で投票するという事実、また孤立し独立した非モルモン教農夫に対抗して集団で行動することに価値を見出していたので、近くに住む非モルモン教徒の多くは疑いを持ち嫉妬を抱くようになった
[ Heidi S. Swinton and Lee Groberg, Sacred Stone (2002), a PBS documentary and companion book, see. p. 86-87]。1840年代初期までに、モルモン教徒はノーブーに大規模な石造りの教会を建てたが、これは当時のイリノイ州では最大級の建物となり、1846年に完工した。
1844年に
ジョセフ・スミス・ジュニアはイリノイ州の司法制度の保護下に置かれ、トマス・フォード知事からの安全の保証があったにも拘わらず、スミスがカーシッジ近くで暗殺された。
1846年、
ブリガム・ヤングに指導されたモルモン教徒はイリノイ州を離れ、後に
ユタ州となる地域に入ったが、当時はまだ
メキシコ領だった。ノーブーには少数の離脱者が残ったが、ノーブーの町は大部分放棄された。上述の教会は1846年に完工したが、ほんの数ヶ月使われただけで、モルモン教徒が出て行く時に売却された。数年後にイカリア人夢想家集団がノーブーにやってきたが、結局解体された。今日のノーブーには1840年代に建てられた建物の多くを修復している
[ Robert Bruce Flanders, Nauvoo Kingdom on the Mississippi (1965)]。